終わっちゃう前に。

あまりに後ろ向きなしょっぱい記事がつづいたので、ぽちぽちやってたやつをだそうかと。

 

にこ健のバックナンバー祭りが終わっちゃう前になにか残したいと思ったのだけど、有料サイトの内容を出すわけにもいかないので、わけわかんない私の一言感想文。

っていうか、ホントにわけわかんないな(^_^;)

  • 320:キレイなものを共有したいって思ってくれるだけでしあわせ。
  • 321:昔の自分に言ってやりたいことって誰にでもあるんだね。
  • 322:パンクしそうなときに膨らむ欲求がすごく「らしい」。
  • 323:これだけじゃないけど、表現がかわいらしい。
  • 324:この頃の髪型好き。
  • 325:煮詰まってる?追い込まれてる?
  • 326:どんなに長い付き合いの人にも新たに良いところを見つけて言葉にできるのはすごいことだと思うし、私もそうありたい。
  • 327:ホテル?8月なのに?北海道だから?その向こうの人に思いをさせることができる、技術?感性?性格?
  • 328:向こう側の人へのアプローチがすごく「らしい」で多分それは需要と合ってる。
  • 329:文字になると滲む年相応感。
  • 330:3日目が好き。特に靴はなんかうれしい。
  • 331:この文章好き。内容もだけど、書き方?表現?こんな風な文章を書きたい。
  • 332:漢字、ひらがな、カタカナの質感の違い、伝わる温度感。
  • 333:裏にある思いが読み取れたらいいのになって思う。
  • 334:保湿www
  • 335:一世を風靡した映画。あなたも好きだったんだね。
  • 336:ってことはあなたに堕ちたのはこの前の日。
  • 337:最初の1パラグラフが好き。こんな文章書きたい。まっすぐに感謝をつづった言葉の力強さ。
  • 338:お宝画像w
  • 339:ほっと一休み、かな。
  • 340:最後の一文が刺さるのはきっと今、この状況で読んでいるから。
  • 341:素敵なコート。似合ってる。
  • 342:クリスマスの準備。
  • 343:WOWOW
  • 344:同じ場所にいたんだなって思うと心がぽかぽかする。
  • 345:私このバッグ買ったwww
  • 346:勉強熱心。
  • 347:年末のご挨拶。鏡越しの写真を反転させないのはなぜ?忘れちゃっただけ?
  • 348:新年のご挨拶。
  • 349:大人になるということ。ご挨拶にいくからそのジャケットなのね。
  • 350:あんなに気を使う人が、どうしたって読み手に心配させるようなことを書くのって珍しい。言葉の向こう側が読み取れたらいいのにって多分、みんな思ったはず。
  • 351:KFC。
  • 352:p.s.の破壊力。
  • 353:八百屋さん in 果樹園。
  • 354:抱きしめたリボンに己を重ねるオタ。
  • 355:剛健は宇宙、スカジャン可愛い。値段可愛くない。
  • 356:BW。
  • 357:この時点ですでに岡っ引き。
  • 358:MASK dance。
  • 359:世の中のほとんどの女子を白目にさせる一言。
  • 360:私まで勢いでグレーのダッフル買っちゃったのです。本物は値段可愛くないやつだから、ぱちもん。
  • 361:世の中のほとんどの女子を白目にさせる一言、再び。
  • 362:初日。
  • 363:オタの気持ちや思いを背負いすぎる。いいんだよ。もっとわがままで。自分勝手で。
  • 364:きるふぇぼんとさんそべや。
  • 365:わたしがこのよでいちばんうらやましいひと。べーさん。
  • 366:これ読んでさっそく該当の鬼平Kindleで買ったけどまだ読んでいないことを思い出した。
  • 367:お疲れ様でした。
  • 368:いのっちおめ。
  • 369:健担以上にジュニア担が泣いた。
  • 370:なんとかくまくん。
  • 371:おとうさんがしんぱい。
  • 372:剛健は宇宙(2回目)
  • 373:翌日からこれがバカ売れして全国のお花屋さんがびっくりしたとかしないとか。
  • 374:かき氷をいっぺんに2個食べる私はきつい一言。
  • 375:HBD。
  • 376:フルーツバスターズ≒物欲妖怪。
  • 377:数ミリ。
  • 378:1979年。
  • 379:夢をありがとう。
  • 380:こっちも9月大変。
  • 381:なんとかくまくん(2回目)

いろいろ背負いがちな人に、これ以上はって思うけど、来年もバックナンバーが読めたらいいなって思うオタ心。

幸せでいてくれればそれでいい

書かない書かない言ってて書いてんじゃんね、って自分でも思ってるので、お思いになられた方も生暖かく見守ってください。

 

昨日に引き続き昔書いてた自分のブログを読み返していました。元担から心が離れていったのはどのあたりなのかなあとか思って。具体的にはもちろん書いてないし、自分でもびっくりするくらい最後の最後までかっこいいかっこいい、コンサートも最後の最後まで楽しかった楽しかったって書いてるんですよ。言い聞かせてたのかもしれない、自分に。私は彼が大好きなんだって。

 

ま、今日も違うこと。

 

元担のことが本当に心の底から大好きだった時から中居くんは特別だったっていうのはここでも何度か書いてるんですが、5年半くらい前、2011年の2月に中居くんについてこんな風に書いていました。

 

永遠に目標であり、同じ時代を生きる同士であり、背筋をぎゅっと伸ばしてくれる存在であり、でも、そんなにがんばんなくてもいいよって慰めてくれる存在。

 

 ちょっとびっくりした。

元担だけじゃなくて、他のじゃにっこに関してもいろいろ書いてるんですが、みんな印象は今と違うんですよね。単純に私の見方が変わったのもあるけど、5年10年前だからご本人が成長したのもあるし、いろいろな状況が変わったっていうのもあるから変わって当然なんだと思うんです。

 

でも、中居くんに対する思いが1ミリもブレていないことにすごく驚いたんです。

 

来年からの彼がどこでどんな風に生きていくのか皆目見当もつきませんが、あの人のことだからきっとすごくすごく頑張るんだと思うので、遠くから祈ることしかできないと思っていますが、でも願わくば来年も、そしてこの先5年10年後も、中居くんに対して同じ気持ちを持っていられたらいいなあ、って思っています。

 

 

あの頃の未来に

ものすごい不穏なタイトルでごめんなさいwww

 

別に例の件を書くわけではありません。ただね、夜空ノムコウの歌詞を思い出してたらうっかり泣きそうになってしまって。

 

あの頃の未来に僕らは立っているのかな、すべては思うほどうまくはいかないみたいだ

 

なんて皮肉って思っちゃうくらいにはまだ傷は癒えてないんですけど、ま、今日は別の話。

今があの頃の未来っていうと、さかのぼってどれくらい前のことを指すんでしょうね。

なんの気なしにかつて書いていたブログを見てみました(ええ、そのまま放置してあります。もう誰も見ないですけどね、時々昔の日記を読むみたく振り返ったりするんです)

10年前の今日のエントリーとかあるの。ああ、もうジャニオタ歴も10年以上経ってしまったのかって(苦笑)

ちなみに、10年前。2006年の8月は名古屋に住んでいて、延々とサンドーム福井とか名古屋ガイシとかのコンレポを綴っていました。 

なんていうか、これ本当に私が書いたの?ってくらい異常なテンションっていうか、すごく恥ずかしんだけど、「ほら、ほらっ!私のコンレポ、私のブログ、面白いでしょ!?!?」みたいな感じがありありとあって(苦笑)

売れてない若手芸人みたいな感じ。

 にしても、よく書いたなあ。あの頃仕事がバカみたく忙しくて、いや、忙しいっていうか拘束時間が長かったんですよね。なのにあんな延々と、しかもフォント変えたり文字の色変えたり、いろいろやってさあ。なんか頑張ってたね、10年前の私(笑)

で、本当に大好きだったんだね元担のこと、10年前の私。

なんだかんだでその彼は6年?くらい担当だったのかな?2005年のコンサートの後からで、震災くらいまでは結構どっぷりで、震災後なんか熱が冷めてきたころに夏の青山で次の子に突き落とされたから(笑)

長かったね、なんて言ったら10年20年ずっと一人の人を応援し続けている方々に鼻で笑われてしまうでしょうけど。でも何もなくたって成長してすごく変わる20代の時期、しかもちょうど一気にスターダム(なんか古い表現だな)にのし上がっていった時期の6年。でもどんどん変わっていくから、言葉は悪いですが、飽きずに好きでいられたのかもしれないですね。で、彼から降りてからもう5年かあ。もう彼らのことは何も知らない感じですね。きっと世の中の人のほうが知っているんだろうな。

 

湿っぽくなっちゃった(笑)

 

あの頃の私はきっと10年後も元担を好きでいるって思ってたかな(笑)ごめんね、私、あなた自分が思う以上に移り気だからそのあとうろうろと寄り道して、んで10年後にはあなたが見てたコンサートに同じように見に来てた先輩に堕ちてるよ。って10年前に私に言っても信じられないだろうな(笑)

仕事もそのあと結構すぐに転職するよ、名古屋には1年半しか住まないよ、でも転職先の会社が合わなくて辞めるよ、1年以上プーだよ(改めて書くと悲惨だな)担当降りて次の子に行く頃にようやく正社員で働き出すよ、でも5年で切られるよ(笑)切られてどん底の時にその先輩に救われるよ。半年以上プーだけど、でも大丈夫、なんとか仕事は見つかるから。

あの頃の私が思い描いてた未来がどんなものだったのか全く思い出せないけど、でも言えることは思うほどうまくいかないってことで、この10年のうち多分半分以上は結構キツイ状況で。でも毎日生きていかなきゃいけなくて、そうやって過ごしてきた1日1日の上に10年後の今日があるんだなあなんて当たり前のことを思ったりしました。

 

10年後はどこで何してるんでしょうね。思うようになんて行かないことはわかってるけど、でも元気で、どんな些細なくだらないことでもいいから笑っていたいなと思います。

 

10年前のブログ、読み返していて一番きついのは、今年の初めに亡くなった友人からのコメントがたくさん入っていることでした。あの頃、私も彼女もすごく楽しそうだった。まさか10年後、もうこのブログに彼女からのコメントが入ることはないなんて。これが一番あの頃の私が信じられないことかもしれません。

背骨

全然自分の中で消化しきれてなくて、別に泣きくれるとか、怒り狂うとかそんなこともなく淡々としてる自分にちょっと驚くくらいなんだけど、でも今、何書いてもきっとしばらくしたら違う、違うって消して書いて消して書いてになりそう。

でも一言だけでも記録しておきたいと思って。

一個だけとても強く思うのは。

 

すまにとって飯島さんは背骨だったんだな、ってこと。

 

背骨を引き抜かれたら誰が何がどう頑張っても、どんなに本人や周りが立っていたい、いよう、って思っても立っていられない。そういうことなんじゃないかって思ってる。

渋谷のほうに全力で叫びながら手を振りたくなった

わたくしごとですが、今年からアメリカ手話なるものを習い始めました。

動機はまあいろいろあるのですが、ホントはもちろん日本手話やりたかったんですけど、自治体とかでやってるクラスは時間帯が合わなくて。

で、私英語の通訳ボランティアとかいうものを時々やるのですが、そこで出会ったアメリカ人が手話を学習している子で、「あ、私も日本手話勉強中、テレビ見てるだけだけど(しかも見てる動機が不純だけど)」って言ったら、「アメリカ手話もやればいいのに、いっぺんにやったほうが早いよ」的なこと言われw(んなわけないのは百も承知です)「これからアメリカ人聾者の旅行客も増えるんだから!」とか言われ。なんとなく検索してみたらまあまあお手軽な価格のクラスが通える時間にあり、勢いで申し込んだ、と。

そのアメリカ手話のクラスは15人くらいいるのかな?すごくいろいろな人がいて。簡単に分類すると、

とまあ、こういった感じ。

実は遠い昔、接客の仕事をしてた時に、会社で無料の日本手話クラスがあったので参加したことがあったのですが(残念ながらその時習ったことはきれいさっぱり忘れました)、その時は生徒は全員聴者だったので(先生は聾者だったけど)通訳がついてクラスは音声言語で進められたんです。まあ、多くの日本手話のクラスはそういう形が多いんじゃないのかな?多分、生徒が聴者だけならそのほうが効率いいし、わかりやすいと思うし。

でも、私のアメリカ手話のクラスは全員に共通する言語がないので、基本はわからないなりにもアメリカ手話で頑張るしかないんです(もちろんスライドに日本語の説明が入ってたり、ごくごく簡単な英単語を先生がボードに書いたりして足りない部分は補いますけどね)

 

なんか前置きがえらく長くなりましたがwww

 

クラスの後にみんなでご飯食べに行ったりとかしてて、私の人生で初めて、こうガッツリ聾者の人と関わっているんですね、で、いろいろと発見や学びがあるんですが、今日言いたいのは別のこと。

 

私、日本手話に関する知識はみんなの手話がすべてなんです。それもご存じのとおり動機が不純なので、あんまり真面目に見てないwww

でも、「(日本)手話結構できるんですね」って言われて。

「と、とんでもない!!!!」って感じだったんだけど、一般的な日本人(聴者)はこんにちは、ありがとう、さえ手話ではわからない。でも私は例えば「美味しい」とか「先週(来週)」とか「終わる」「行く」くらいの思いっきり簡単な単語ならちょーーーーーっとだけわかる。日本手話が第一言語の方からするとそういう聴者ってすごく少ないって。

だからね、「みんなの手話だから、私の知識、NHKのみんなの手話だから、あれ見てるだけだから!!!!」ってアピールしてきたwww

実際、そうなんですよ、ただ毎週見てるだけ、それも「くうううう、今日も健くんかわいい…」って見てるだけ(ごめんなさい一生懸命番組を作っていらっしゃる多くのみなさま)テキストも買ってるけどほとんど見てないし、学習態度としてはホントひどいもんです(まあ学習する気で見てないっちゃあ見てないんだけど)

それでも見続けてるとなんとなく、知らない間に頭に入ってるんです。あとは滝沢歌舞伎とかbysのリップシンクとかそういうのも大きいのかな、健くんが手話でなんて言ってるのか知りたい、っていうのはモチベーションとしては大きい。

 それでも、自分としては日本手話を勉強している感覚はなかったので、すっごい嬉しかったんです、そう言われることも嬉しかったし、一緒にご飯食べてて「美味しいね」とかの手話が通じるのもすごく嬉しい。

そのたびに「健くん!ありがとう!!!!!」って心から思うんです。あなたのおかげで私の世界は広く豊かになったよって。思いもしなかったことをたくさん知ったし、1ミリも疑問に思わなかったことを、なんか変、とか、え?なんで?とか思うようになった。それはとっても嬉しいことで、健担じゃなかったら一生知ることも考えることもなかったって思うと、本当に健くんには感謝しかない。

 

ジャニオタ、ってとかくなんかさげすまれがちなんだけど(被害妄想かな)でもジャニオタだから健担だから素敵なこともたくさんあるよなあ、って思う今日この頃です。

バイバイに乗せた意味

久しぶりっ!(開き直り)

 

ダメだねえ、なんかあんなにどうかしてるほど頭沸いてた滝沢歌舞伎のこととか一言も書いてないじゃん、私(苦笑)

DVDでたら書くか(書く書く詐欺)

 

えっと、新曲の話です、今回は。

新曲っていうか、テレパシーね。

ホントは不惑でも書きたいんだけど、正直不惑に関しては冷静に書ける自信がないw いろいろ決着ついていやあの頃ねえ、不惑がねえって言えるようになったら書きたい(書く書く詐欺パート2)

 

で、テレパシーだ。

カミセンってなんであんなにちょっと切ない感じの曲がズバッとハマるんだろうね。3人ともおじさんになったとはいえ、多分王道のアイドル3人組だと思うんだけど、で、そういう曲だっていいんだけど、ああいう切ない系がどれだけおじさんになってもこう胸にグイグイくるのはなんでかしら。

でね、これ私の個人的な感覚でしかなくて、もちろん根拠なんかない戯れ言なんだけど。

3人が言うバイバイって、なんていうか、ごーくんのバイバイは、ああもうこれでさようならなんだなっていう感じがするの。もう会えないんだなって感じ。また笑顔で会うためのって言いつつも、でもお互いもう会えないんだなってわかってる感じ。一番切ない。

健くんのバイバイはごーくんよりほんの少しだけ希望があるの。もしかしたら、もしかして未来のどこかでまた道が交わることがあるのかもしれない、でも確信なんかなくてそれは勘というより希望、期待、祈り、そんな感じ。

オカダのバイバイはごーくんの真逆、確信持ってまたいつか会えるって。だからその時笑顔で会おうね、ってそういう力強い信念みたいな感じ。

 

そんな3者3様のバイバイが絶妙に重なり合ってるのがテレパシーだなあって私は思うのです。それが本当になんていうか奇跡だなあ、と。

 

だからさ、カミコンやろっ!(相変わらず唐突すぎる着地)

単に盲目なヲタの適当な戯れ言って言えばそうなんだと思うけど、どうしてもMaybeの手話について語りたくなりました。

タイトル長すぎwwwww

でも、まあこのタイトルまんまなんで、あいつ頭おかしいってトーンで読んでいただけると幸いですwww

 

滝沢歌舞伎のMaybeがもう大好きなんです、一日中、どころか1週間位思い返してはほわわわわーーーーんってなるくらい。

もともとMaybeって曲大好きですし、OMGコンの演出、振りも大好きなんだけど、それを塗り替えるくらい滝沢歌舞伎Versionが好きで。健くんが怪我をしてサビがオリジナルの振りから手話振りに変えたのも、これまたすっごく好き。

なんでこんなに好きなのかなあ、そりゃ私が健くんファンだからってのは一番だけど、なんでこの曲のこの振りにそんなに惹かれるのかなあってずっと考えていて。

 

そんな時にお友だちの佐久間くんファンが、Maybeのさっくんの振りが硬い、もっと健くんみたく柔らかく踊って欲しいって言ってて。

私の佐久間くんのイメージはとにかくダンスが滑らか!だったからちょっと意外だったんだけど、でも、それも合わせていろいろ考えてて、1個の根拠ゼロの仮説にたどり着いた。さっくんは決して硬いんじゃないと思う。

 

何度も言いますが、痛いヲタの根拠ゼロの仮説です。それに私は聴者で手話なんてほっとんどできません。遠い昔に少し習ったのと、みんなの手話が私の全知識なので、手話をメイン言語にされている方方からしたら片腹痛いかと思いますがどうかご容赦ください。

 

Maybe(だけじゃなくてWith Loveもなんだけど)バックの子たちにとってはあれは手話じゃなくて振りなんじゃないのかな。もちろんそれが手話だってことは理解してるだろうけど、でもあの振りを覚える、踊る時の意識は他のダンスの振りを入れるのと同じ意識なんじゃないのかな?振りだと思ったほうがやりやすいだろうし覚えやすいんだと思うんですよ、ああいう踊り慣れた人たちは。だからそれが悪いとは言わないし、舞台上で演目の1つとしてやるならそれでいいんだとも思うんです。

 

でも、健くんにとってはあれは振りであると同時に手話なんだと思う。

 

手話って手を動かせば伝わる言語ではないんですよね。音声言語でのコミュニケーションでは微妙な声のトーンや間のとり方で、いろんな感情を伝えることができるけど、手話はそうは行かない。表情だけじゃない豊かなボディランゲージで思いを表現してる。手話で会話している人たちがどこか楽しそうに見えるのは手だけじゃなくて全身で表現するから。みんなの手話でもよく言ってますよね、表情をつけるって。

 

Maybeってちょっと切ない曲って解釈なんですけど(私は)切ないっていうか、まだ思いが届いてなくて、でも誰かをものすごく思ってる、一方通行にって感じ。自分は "I'm in love"(恋をしている)んだけど、まだ届いてない、届いて欲しいっていう切ない気持ち。

 

だからなんだと思うんだけど、目の前の「あなた」じゃなくてどこか離れたところにいる「彼女」に向けてる。小指を斜め前に差し出して、その彼女に向けてあふれる切ない思いを語りかけてる。どれだけその彼女を思っているか、その思いで苦しいか、切ないかを手話って言語で話してる。健くんにとってはあれは振りであり、言葉なんだと思う。どうしても届いて欲しい想いなんだと思う。

 

だから見てるこちらも、例え手話がわからなくてもすごく胸に刺さるんだと思うんですよね。

 

話戻りますが、さっくんの振りが硬いと言った友人、それはきっと硬いんじゃなくて、さっくんにとっては振りだから、なんならカウントで覚えてカウントで動いてる(仮定です、完全なる妄想で仮定、本当のところなんてまったくわからない)からじゃないのかな、と。

 

With Loveもね、いつも思うんです、なんでみんな直立で菩薩みたいなほほ笑みでいるんだろうって。手話ならもっと思いを込めるべき。直立で菩薩みたいなほほ笑みでやる手話は聴者にとってのお経みたいなものだと思うんだよなあ。でも、キャストはそんなこと思いもしないんだろうから、それは健くんが教えてあげればいいのになあとか。

 

 また着地点がわからなくなってきたwwwww

 

ま、まとめるとMaybeが好きだってことで(雑っ!!!)