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単に盲目なヲタの適当な戯れ言って言えばそうなんだと思うけど、どうしてもMaybeの手話について語りたくなりました。

タイトル長すぎwwwww

でも、まあこのタイトルまんまなんで、あいつ頭おかしいってトーンで読んでいただけると幸いですwww

 

滝沢歌舞伎のMaybeがもう大好きなんです、一日中、どころか1週間位思い返してはほわわわわーーーーんってなるくらい。

もともとMaybeって曲大好きですし、OMGコンの演出、振りも大好きなんだけど、それを塗り替えるくらい滝沢歌舞伎Versionが好きで。健くんが怪我をしてサビがオリジナルの振りから手話振りに変えたのも、これまたすっごく好き。

なんでこんなに好きなのかなあ、そりゃ私が健くんファンだからってのは一番だけど、なんでこの曲のこの振りにそんなに惹かれるのかなあってずっと考えていて。

 

そんな時にお友だちの佐久間くんファンが、Maybeのさっくんの振りが硬い、もっと健くんみたく柔らかく踊って欲しいって言ってて。

私の佐久間くんのイメージはとにかくダンスが滑らか!だったからちょっと意外だったんだけど、でも、それも合わせていろいろ考えてて、1個の根拠ゼロの仮説にたどり着いた。さっくんは決して硬いんじゃないと思う。

 

何度も言いますが、痛いヲタの根拠ゼロの仮説です。それに私は聴者で手話なんてほっとんどできません。遠い昔に少し習ったのと、みんなの手話が私の全知識なので、手話をメイン言語にされている方方からしたら片腹痛いかと思いますがどうかご容赦ください。

 

Maybe(だけじゃなくてWith Loveもなんだけど)バックの子たちにとってはあれは手話じゃなくて振りなんじゃないのかな。もちろんそれが手話だってことは理解してるだろうけど、でもあの振りを覚える、踊る時の意識は他のダンスの振りを入れるのと同じ意識なんじゃないのかな?振りだと思ったほうがやりやすいだろうし覚えやすいんだと思うんですよ、ああいう踊り慣れた人たちは。だからそれが悪いとは言わないし、舞台上で演目の1つとしてやるならそれでいいんだとも思うんです。

 

でも、健くんにとってはあれは振りであると同時に手話なんだと思う。

 

手話って手を動かせば伝わる言語ではないんですよね。音声言語でのコミュニケーションでは微妙な声のトーンや間のとり方で、いろんな感情を伝えることができるけど、手話はそうは行かない。表情だけじゃない豊かなボディランゲージで思いを表現してる。手話で会話している人たちがどこか楽しそうに見えるのは手だけじゃなくて全身で表現するから。みんなの手話でもよく言ってますよね、表情をつけるって。

 

Maybeってちょっと切ない曲って解釈なんですけど(私は)切ないっていうか、まだ思いが届いてなくて、でも誰かをものすごく思ってる、一方通行にって感じ。自分は "I'm in love"(恋をしている)んだけど、まだ届いてない、届いて欲しいっていう切ない気持ち。

 

だからなんだと思うんだけど、目の前の「あなた」じゃなくてどこか離れたところにいる「彼女」に向けてる。小指を斜め前に差し出して、その彼女に向けてあふれる切ない思いを語りかけてる。どれだけその彼女を思っているか、その思いで苦しいか、切ないかを手話って言語で話してる。健くんにとってはあれは振りであり、言葉なんだと思う。どうしても届いて欲しい想いなんだと思う。

 

だから見てるこちらも、例え手話がわからなくてもすごく胸に刺さるんだと思うんですよね。

 

話戻りますが、さっくんの振りが硬いと言った友人、それはきっと硬いんじゃなくて、さっくんにとっては振りだから、なんならカウントで覚えてカウントで動いてる(仮定です、完全なる妄想で仮定、本当のところなんてまったくわからない)からじゃないのかな、と。

 

With Loveもね、いつも思うんです、なんでみんな直立で菩薩みたいなほほ笑みでいるんだろうって。手話ならもっと思いを込めるべき。直立で菩薩みたいなほほ笑みでやる手話は聴者にとってのお経みたいなものだと思うんだよなあ。でも、キャストはそんなこと思いもしないんだろうから、それは健くんが教えてあげればいいのになあとか。

 

 また着地点がわからなくなってきたwwwww

 

ま、まとめるとMaybeが好きだってことで(雑っ!!!)