彼はなにを思ってあそこにいたのだろうか。

先日中尊寺に行ってきました。

ミーハーなんで世界遺産とか大好きなんです。

でも、世界遺産なのに、最寄りの新幹線駅の一関も、最寄り駅の平泉もまあ、なんというかさみしい感じというか。まあ、観光地観光地していない感じは逆に好感持てましたけど、私なんかは。

 

で、中尊寺、行かれたことある方はご存知でしょうが、あそこはいわゆる山門?からまあまあ険しい山道(舗装されてるので険しいわけじゃないけど、傾斜がきついのです)を10分?15分?くらい登っていくのです。

 

はあはあ息を切らしながら思ったのだけど、今はこうやって整備されてるけど、義経がいた頃は本当に山深いところだったんだろうな。

夜になったらなにも見えないくらい深い闇で、きっと獣の類も出ただろうし。

そんな中で彼はどんな気持ちで身を隠してたんだろうって考えたらなんか何とも言えない気持ちになった。

生きることに絶望しなかったのかな。弁慶とか仲間がいたから寂しくはなかったのかな、とか。

 

ってちょっと真面目なことを考えてたのだけど、結論は、あー、タッキーの大河ちゃんと見ておけばよかった、ってwww

 

歌舞伎も去年までは義経だったわけですが、私も何度か見てるんだけど、なんか悲劇の印象なくて。あ、そうだったっけ?みたいな(ひどい)

 

でも、殿が何度も何度も「今年は笑顔で」って言うのは、彼が一番その義経の悲しさみたいなのをわかっていたからかもしれない。だから10年もやって、ある種の供養だったのかもしれない。

なんかそんなことをふと思ったりしました。