とんでもなく大変なことなんだと思うのです、2つの言語を一度に操るのは。

多分、固くなりそうだから畳むよ。

 

 

とってもとっても「らしい」ラヂオでしたね、この間の月曜日は。

なーのくんととにおじさんたちにデレデレしたかと思ったら、思いっきり真面目に語ったりして。

きっとどっちもが三宅健なんだろうし、ファンはどっちも好きなんだと思います、はい。

 

で、だ。

手話をやりながら喋るっていうのは凄く難しくて、本当に難しいんですよ、なのでどうしても単語に引っ張られたり、日本語に手話が引っ張られたりして色んな事があって、そうすると、どうしても日本語が今こうやって喋っているように、スムーズに話すことが難しいんですね。
なので、途切れ途切れになってしまうっていうことが、視覚障害の有る方々に取って、違和感があったり聞きづらかったりするんじゃないかなって僕の中では凄く不安だったんですけど、結構難しくて、なんて説明したら良いんだろうな、本当に日本語の語順と、手話の語順が違うんで、例えば簡単に説明すると、今回のメダルの説明をしていたときに、例えば言葉で僕が日本語で一番大きい音がなるそうですって言っていたとしても、僕が単語表現としてやっているのが、最高、音、大きい、ってやってるんですよ、そうすると何が起きるかというと、一番、音、大きい、ってやると一番音って言いそうになっちゃう、音声としては一番大きい音がって言わなきゃいけない、そういう事があったり、手話と言葉当てはまらないというか、合わないときが有るので、タイミングが、それをわざと手話を先行させたり、自分の喋る言葉をオフにして手話だけを先にやるとか言葉を遅らせて、手話と言葉を合せたりとか、って事をしなければ行けないので、そうしないと、ろう者の人にも伝わりづらかったりする、それが結構たいへんでしたけどね。*1

 これね、自分に置き換えて、置き換えて?っていうか、自分で想像できる範囲で考えてみたんです。

 

私は手話は日本手話もASLもほとんどできませんから、私の場合だとま、英語、ですかね。帰国子女でもバイリンガルでもないですが、まあ、一応仕事で使う、いわゆるビジネスレベルではあると思うんですけど。

口は1つしかないから日本語と英語を同時に話すってことは不可能だから、厳密に健くんの言う「難しさ」はわからないけど、

でも、じゃあ例えば、英語を話しながら同じ内容を日本語で書く、ってことを考えたとき、

 

 無理!完全に無理!!

 

そりゃ、これはペンです(This is a pen.)レベルならできると思うけど(^_^;)いや、無理、ホント無理。

 

英語(に限らず何語でも)同時通訳(会議とか放送とか)って言うのがまあ、なんていうかある種の頂点で、その次がウィスパリングっていってほらVIPとか世界の要人の斜め後ろで、耳元で訳す人いるじゃないですか、あれも相当大変なんです。私、できません。

一度ボランティアでウィスパリングに近いことをやったことありますが、脳みそ沸騰するかと思った。

ボランティアで1日逐次通訳やったこともあるんですが。あ、逐次通訳ってのはいわゆる普通の(普通?)少し喋って、訳して、喋って、訳して、ってやつです。終わったあとしばらく、なんていうか、頭のなかで強烈なストロボがバシッ、バシって焚かれてるみたいで、ものすごく疲れてるんだけど、脳みそだけが高温で沸騰してるみたいだった。

 

って私の話はどうでもいいんだけど。

文法が違う言葉を2つ頭のなかに共存?させて電気をつけたり消したりするみたくぱちぱち切り替えるってそれはそれは大変なことなわけです。

 

健くんの手話だって、日本語対応手話ならもっと楽だったと思うんだけど、それじゃやっぱり真のユニバーサル放送にはならないからね。

それに、健くんが日本手話を使うのはもちろんろう者のためなんだけど、でも、それによってはじめて、私を含む多くの彼のファンの聴者が、日本手話と日本語対応手話があるって知っただろうし、(なんなら滝沢歌舞伎のWith Loveが日本語対応手話だったことも健くんに聞いて初めて知ったわけで)そこからなにかが変わっていくことも絶対にあると思う。

だから、彼が日本手話にこだわることはとても重要な事だと思います。

 

また話ずれたw

 

 どうしても彼のファンとして見ていると聴覚障害者への理解は進むんだけど(それだけでも十分意味のあることなんだけど)それ以外の障害まで気が回らないのが現実だと思うので(実際私もそうだし)

でも、こうやって、

視覚障害の有る方々に取って、違和感があったり聞きづらかったりするんじゃないかなって僕の中では凄く不安だったんですけど、

なんて言葉を聞くと、そうか、視覚障害者にとっては彼の言葉がすべてだよなあ、なんていう当たり前のことに気付かされたり。

 

健くんがパラリンピックとか手話とかにすごく合うっていうか、なんか導かれるようにして来てるような気がするのは、彼は、障害者だけでなく、すべてのマイノリティっていう人たちに対する目線がフェアっていうか、フラットっていうか、そんな気がするんです。

 

それは彼が元々持っていた素質なのか、ご家庭の教育なのか、これまでの経験とか環境によるものなのかはわからないけど、オカダさんの言葉を借りれば「健くんは優しい」*2し、ちょっと前のananだっけ?ごーくんとおかだくんが、健くんの言葉は愛情をちゃんと受けてきた人の言葉、みたいなことを言っていたのもその派生だと思うし。

健くんの優しいって、なんかわかりやすい親切というよりは、そのすべてに対するフェアな目線だよなって思うんです。

それって実はとてもとても難しくて、世の中の意識高い人たちでも、そこができない人ってたくさんいる。なんかえらそうに世相を斬ったり、政治を語ったりしている人ほど、弱者を、マイノリティを無意識のうちに下に見てたりする。かわいそうな人達を助けなければ、みたいなね。

見方を変えればその人のほうがよっぽど可哀想なのかもしれないのにさ。

 

ってまた話ずれた。

 

 健くんのファンになって、世界は確実に広がったし、目線も確実に変わった。この歳になってそんな風に考え方に風穴を開けてくれるってことはすごく幸せなことだあって思うし、私も頑張らなきゃなあってすごく思うんです。